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大雪の思い出

わたし『あさ勝彦』生まれは三好市井川町の腕山スキー場があるところ。生家は谷の源流の最終のところ。(ここより上に水はない!!!)勿論、雪は遠慮なく積もり、学校には手作り竹スキーで行くときも。高校生になると、貧乏生家ならではのアルバイト生活。新聞、ヤクルト、牛乳、休日は土木作業に写真スタジオの荷物運び。とまあ、思い出は山の如く。大雪の早朝、山の上から朝刊を配達するために、どのようにして新聞店まで行くのか。当時の手法は、バイクの後輪に『縄を巻き付ける』ことにある。更に路面が全面凍結している場所は、バイクを手前で転倒させてバイクと自分が一緒に滑り下ります。今思えば無謀としか言いようがありませんが、当時は日常茶飯事。高校卒業近くの冬に、『チェーン』なるものを買ってくれた。ありがたかったが、私なりには『縄のほうが便利』でした。

それではおまけに、アルバイトの金額を公表しておきます。新聞配達は、バイクは新聞店のを使用し、一軒月140円。(74軒担当だったと記憶)ヤクルトは配達集金すべてこちで、一本〇円。(週3回の配達)牛乳はパック配達で小遣い制、土木作業は一日2500円、写真関係は一度に5000円で作業は結婚式場(当時ほぼ個人宅)まで機材の搬入と、現地ではストロボのセットをするだけ。他にもありましたが・・・・・。

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