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阪神淡路大震災『1、17』

徳島新聞夕刊に掲載された当時の記事です。オリックスが奮闘し復興に向けて勇気をもたらしたことは言うに及びません。イチローの下向きな活動は原動力のひとつと思います。

当時、とにかくこちらでは何もわからないと、同志(当時の青年で肝臓がんですでに死亡)と、私の軽トラックに彼のトライアルバイクを乗せて淡路まで行き、船で神戸に向かいました。持参は仲間からのカンパ60万円と、インスタント食品、弁当二つ。バイクで移動中、バスとバイクが接触したり、高速道路の支柱が折れたり、ビルの一つの階がなくなっているなど、バイクの後ろからビデオを写しながら移動。途中で、ビデオやめたらといわれて反論もせず。

数か所事務所を訪問すると、『京都から片づけの応援来てくれた』と、それなりに復旧しているところや、入り口がひび割れても営業する事務所で、奥から私らを監視するようなそぶりのところ。最後の訪問先では、持参した弁当も使えそうなので置いて帰った。

これが、1月24日の行動で、これ以降に更に火災が猛威を振るう。今振り返ると、よくも行ったものだと思いもするし、他に何かできたのではないかとも思う。最善は何かと考えると、その時に精いっぱいやっとことが最善かな。60万円出した仲間も最善かな。

帰路、淡路からの彼の運転がひどくて、軽トラックのアクセルをべた踏みで運転された。今思えば彼のやるせない思いだったのだろうが、こっちはビビっていたのが本音。

この彼とは、うちの妻の言い出しっぺでアメリカに肝臓移植に行った人。60万どころか、6000万円の募金をもとに肝臓移植を決意した方です。

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