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南スーダン渡航情報の嘘は砂川判決の嘘とまったく同じだ

天木直人氏のブログを引用しました。ご一読を

以下

「私にしか書けないことを書く」

これは私の常とう句だが、これから書くことは間違いなく私しか書けないことである。

南スーダンの駆けつけ警護のいかさまぶりを連日のように徹底追及しているのが日刊ゲンダイだ。

その日刊ゲンダイがきのうの紙面(11月9日号)で書いた。

外務省が邦人旅行者の安全のために発表している渡航情報には、ついこの間まで南スーダンは「戦闘」状況にあると記載されていたのに、安倍政権が「駆けつけ警護」を強行しようとしているドサクサに紛れて、その言葉を削除して「衝突」に差し替えていたと。

私が注目したのは、外務省領事局海外邦人安全課が日刊ゲンダイの、これは事実の捏造、抹殺ではないかという質問に答えた、言いわけのセリフだ。

「戦闘」という用語を使えばPKO参加5原則の一つである「紛争当事者間で停戦合意が成立」を崩す「戦闘行為」と混同されかねない、だからその「誤解」を避けるために「衝突」という表現に変えたという。

「誤解」もへったくれもない。

現実がそうなっているのに、都合が悪いからといって現実を見て見ぬふりをする。

まさしく安倍首相の都合にあわせて黒を白と言いかえる、今どきの外務官僚の権力迎合の姿がそこにある。

そしてこの外務官僚の姿は、そっくりそのまま砂川判決の判決文にあらわれている。

1959年に下された、「在日米軍は違憲だ」と断じたあの歴史的な伊達秋雄東京地裁裁判長の名判決の事ではない。

伊達判決を差し戻してそれを否定した田中耕太郎最高裁長官(当時)の砂川判決が、その後明らかになった田中最高裁長官とマッカーサー駐日米国大使の密議によって、無効だと再審請求が起こされたのは2014年6月だった。

その再審請求を棄却した判決が今年(2016年)3月8日に東京地裁で下された。

その東京地裁の判決の事だ。

田中耕太郎最高裁とマッカーサー駐日大使の密議が明らかになったのは、駐日米国大使から米国務長官あてに発出された当時の米国極秘公電などが見つかったからだ。

そこには裁判情報に関する漏洩と日米密議のなまなましい内容が書かれている。

もしこれら極秘文書の存在を東京地裁が認めたならば、誰がどう見てもこれは司法権の中立を損なう行為だからやり直し裁判は免れない。

だから我々は(筆者註:私は縁あってその密約文書の原告側公式翻訳官として訴訟にかかわった)、東京地裁はそれら公文書を本物と認めず、従って訴訟に値しないと門前払いするおそれがある事を危惧していた。

ところが東京地裁はそれら公文書を本物とあさり認め、それら公文書をもとに審理を進めた。

我々は勝訴の可能性が出てきたと内心喜んだ。

ところが、2016年3月8日に下された判決は、再審査要求を退けるという棄却判決だった。

そして、その判決文に書かれている棄却理由が、「語るに落ちる」仰天内容だったのだ。

ここからが、このメルマガで書きたい事である。

一般論として最高裁長官は三権の長として、社交の場で外国の大使と会うことが認められている。新年会のレセプションなどで会うことはよくある。だから田中耕太郎最高裁長官がマッカーサー駐日米国大使と何度も面談したところで、それは通念上認められる行為であり、司法への関与にはあたらない、そう判決文は書いたの。

どこの裁判官が社交の場で国家の安全保障の根幹にかかわる情報を漏らすというのか。

どこの大使が社交の場で国家の安全保障の根幹にかかわる外交に内政干渉するというのか。

この、黒を白という判決分は、まさしく外務官僚が書いた文章をそのまま裁判官が判決分にコピーして、引用したものだ。 南スーダンの危険情報といい、砂川判決再審請求訴訟の東京地裁の棄却判決文といい、はじめに、安倍首相への迎合ありきの外務官僚のなせ

る業だ。

いまの日本外交は安倍首相の私物となり下がっている動かぬ証拠である(了)

以上です。『戦闘』を、『衝突』と言い換えているだけなのですが。いずれにしても憲法には相容れられないことです。

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