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3月11日、議会発言を掲載致します

長々と申し訳ございませんが、是非、ご一読をお願い致します。

3月11日の発言です。
まず、『学校の小規模化、クラスの少人数化は子どもたちの成長につながると考えるが、市教委の見解はどうか』ということでお伺いいたします。

欧米等先進国の現状は、少人数クラスのメリット、デメリットをデータに基づき分析し結果の方針としての『一クラスの人数は少ない方がいい』との結果から、最もクラス生徒数の少ない取り組みをしている国では15名近くまでになっています。『学校総体の子どもの人数も100名程度』を目指しているようです。
日本の現状は、生徒が減れば即、先生の人数も削減する現状です。ゆとり教育といっても、先生の人数にゆとりが無く、子どもの人数には関係なく『多忙』となっているのではないかと思います。
そこで、お伺いしたいことは、吉野川市に、このようなマンモス現象があるわけではないですが、教育の先進国が目指している少人数化についてどのような見解や方向、スタンスをもっているのでしょうか。お伺い致します

次に二点目の、『学校再編は教育費の削減が背景にあるのではないか』という事ですが
教育費の削減についてお伺いします。先般の市議会全員協議会で『学校の先生の給与は県が支払うので、教育のコスト削減ということでの再編ではない』ということでした。ということは、県からの要請があるのではないですか?と、どうしても気になるところでが、いかがでしょうか。

三点目ですが『美郷地区から学校が全て無くなるということは、地域の文化、経済などの衰退につながらないか』という事についてですが、これは説明も不要かと思います。
個別課題としての『種野小学校の移転、川田中小学校への通学』について、どうしても、問題アリといわざるを得ません。移転とか、再編とかいいますが、唯の廃校という文言を使わないだけで美郷地域から全ての学校がなくなるということです。
地域での説明会、山川と美郷会場を傍聴しました。美郷は非常に少数の参加者でした。私は、参加者が少ない原因は『参加しても無駄行政はローカルには厳しい、諦めるしかない』という、地域の皆様の本音があると考えています。また、行政全般についても、『良くなるのは鴨島地域であって、山川や美郷はさびれていく一方だ。何とかして欲しい』という声が、何かにつけて聞こえてきます。
小学校は中学校と比べて、地域との関わりがより多いと思います。地域とのふれあいで情操教育ができていくという大きな点です。また、美郷は吉野川市でも観光のメッカです。地域の皆様のお力で、全国からの観光客の受け入れが実現しています。この事は、市長の初日挨拶でも触れられていたかと思います。子育てをされている家庭も、児童の人数からしても少ないとはいえません。
現在出されている案では、川田西、川田中、川田、種野の4小学校を一つにするという案です。
ここから、種野小学校を切り離して、もう少し地域の皆様の本音を聞いてみて、その結果として4小学校になるのか、若しくは、種野小学校については、時期をずらしていくのかの、選択肢を考えてはどうでしょうか。
吉野川市となって10年。早くも一つに町から全ての学校が無くなってしまうことに、唯、教育行政のみの観点で判断することは問題ではないでしょうか。
事実は承知しておりませんが『あの、後藤田正晴さんだって、複式学級だった』との声を聞きました。少人数ほど学力が上がるのは当たり前のことです。
新婚さん、美郷にいらっしゃいと、この地で子育ての地として選んで頂く候補の一つになっても頂きたいところです。学校が無くなることを承知では、この地を選択して子育てをして頂けるとは考えにくいです。
この案件は本来、全ての理事者に関係する案件でしょうが、教育委員会としての御答弁をお願い致します。

最後に、4点目ですが川田3学校及び種野小学校の再編先となる、川田中小学校の立地条件について質問致します。
地域の説明会の折り、校舎を新築建設するという説明がありました。説明会で出された参加者の意見の一つに、『新築ならあのような危険な場所を選択する必要はない。もっと、安全なところを選ぶべきだ』との声がありました。教育委員会の関係者の皆様も同席されていましたから発言は承知のことと思います。
私は東日本の震災直後、昼食、夕食の炊き出しの任務でのボランティアで南三陸に行って来ました。例の防災庁舎のアンテナに昇って助かった方がいるところです。本日の新聞にも2カ所載っています。ここは、全ての学校が高台に建設されていました。地元の方に聞いたところ過去の津波経験を活かし、高台に建設したとのことでした。勿論、この学校が避難場所となり、私ら一団は学校体育館二階の一部で宿泊し、一階は被災された方々がおいででした。広場を使って仮設住宅が造られていました。
新大阪からマイクロバスで行きました。現地に近づいたものの、海がまだ見えていないところで、軽トラックが山肌にひっついていました。津波がここまできて、軽トラックを押し上げたのだと判断できたのは数日経ってからのことでした。
これ程の津波にも微動だしなかった場所を選択したということです。
震災翌年は、農業の収穫作業で (場所は申しません) ボランティアに行ってきました。ここは、海岸近くに小学校がありました。現地を通る時に、携帯電話の位置情報では、道路が碁盤にあり、沢山の家が建ち並んでいるはずです。しかし、見るも無惨な状況でした。墓地の墓石もどの石とどの台がセットなのかわからない感じでした。
学校校舎は、2階のうえまでタイルが剥がれ、体育館の床は引き波で剥ぎ飛ばされていました。この水の恐怖を参考に、学ぶとすれば、やはり、説明会で発言、提言して頂いたご意見に重きをおくべきだと判断すべきと思います。
先ずは、安全なところに建てること。市教委のいうより良い環境でしょう。
以上御答弁をお願い致します。
答弁を頂いた後、の発言は、以下です。

再問
三点目の
種野小学校の関係での御答弁では、『合意ができた段階で、後からでも参加頂くことも選択肢にある』ということでした。私は、これが最高にいいスタンスと思います。要するに、編成ありきのスタンスでなく、地域の皆様の声に重きをおくということです。

4点目の川田の新の小学校建設の場所についてですが、説明会でのご意見、提言の安全な場所について、先ずは真剣に調査をして頂きたい。調査の結果、不可能と判断した時について、お伺いします。
それなら
川底を下げる、浚渫工事をやって頂く(県に要望)
土手を補強する(県に要望)
せめて、土手以上まで、学校の敷地をもちあげること。(吉野川市で)
この3点を要望いたします。
水は川を適当に流れを変えていきます。そして、平野ができているわけですから、今後も少々の堤防など無視して、どちらにでも川の流れを変えていきます。
川の水速が倍になれば、破壊力は倍になります。しかし、水量は二乗になります。10倍の水が、ゲリラ豪雨として流れれば、威力は100倍になります。そして、そこいらの棒きれなどを振り回して襲ってきますから、堤防の破壊などそんなに想定外ではありません。
ご意見、提言を頂いたかたの内容を引用させて頂くなら、100年の事業なのだから『より望ましい教育環境づくりなら少しくらい時期が遅れても、より良い環境をつくれ』ということではないでしょうか。
高台移転が無理なら、高台にすれば良いと思います。何処にでもある光景です。
以上再問とします。
答弁として
土手までの敷地引き上げは、検討するという事となりました。

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