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象徴天皇制について皆が議論を公然と始めるようになった

有料ブログの、天皇制についての発信があったので引用してみます。ブログの中で更に引用されていますので読みにくいかもしれませんが、興味のある方はご一読お願いします。

なぜ国民主権であるはずの新憲法と世襲的な天皇制が共存するのか。その事を見事に国民に教えてくれたのがきのう5月2日の朝日の記事。専門書でも歴史教科書でもなく、一般国民が広く読む新聞で、ここまで簡潔、明快に新憲法における天皇制と憲法9条の関係を明かした文章を見たのははじめて。

 編集委員の国分高史氏と松下秀雄氏の二人の署名入りの記事だ。以下引用。

 「1947年5月3日に施行された日本国憲法の最大の特徴は、1条の象徴天皇制と9条の戦争放棄だ。二つの条項は不可分の一対として生まれた。天皇制を残しても、『天皇の軍隊』による軍国主義の復活にはつながらないと、国際社会を納得させる必要があったからだ。

 45年の敗戦後、日本に進駐して来た連合国軍総司令官(GHQ)の意向を受け、政府は憲法問題調査会をつくって明治憲法改正の検討に着手。ポツダム宣言の受諾によって日本軍は武装解除されたが、委員会は軍に関する規定を憲法から削るべきか、将来の再軍備に備えて残すべきかで論争を続けていた。

 一方、日本政府から明治憲法の微調整程度の案しか出て来ないと見た最高司令官マッカーサーは46年2月3日、マッカーサー・ノートと呼ばれる改憲の原則を部下に示した。天皇制の維持・戦争放棄・封建制の廃止の3項目で、GHQはこれに沿って改正案作りに着手した。

 連合国の中には、昭和天皇を東京裁判にかけて戦争責任を追及すべきだとの声があった。だがマッカーサーは、天皇なしでの円滑な占領統治はあり得ないと判断。日本が二度と戦争を起こさないことを明確にするため戦争放棄を盛り込んだ。

 2月13日にGHQ案を示された日本政府内には当初、天皇が統治権の総攬者から『象徴』となることへの強い抵抗があった。だが、マッカーサーは21日の幣原喜重郎首相との会談で『これにより天皇の地位も確保できるし、主権在民と戦争放棄は交付案(GHQ案)の眼目であり、特に戦争放棄は日本が将来世界における道徳的指導者となる規定である』と発言。政府は象徴天皇制と戦争放棄は拒否できないと見て、GHQ案の受け入れを決めた・・・」

引用は以上です。

以下は、再びブログ引用

この朝日の記事を読んだ令和の国民でさえ、どれだけが知っていただろう。当時の日本の主導者たちは、拒否できないどころか、このマッカーサーの提案は、なかば渡りに船だった。憲法9条がなければ他の連合国は天皇の政治責任を問うたに違いないそしてその時点で天皇制はどうなっていたか。

 しかし、日本の占領統治を任されたマッカーサーは、日本国民の抵抗を抑えるために何としてでも天皇制を残さなければならなかった。しかも天皇制を民主主義と共立させなければいけなかった。つまり象徴天皇制はマッカーサーにとっても日本の指導者にとっても、双方に都合のいい妥協の産物だったのだ。新憲法の国体ともいうべき象徴天皇制と憲法9条は、まさしく取引の形で成立し、矛盾する形で戦後の日本を支配してきたのだ。

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