ブログ

頑張っていました、浪江町

合言葉『どこにいても浪江町民』

以下原文

浪江町視察研修

29日9時10分到着

議会議長 他2名より説明を受ける

議長ご挨拶  16名の議会議員、二本松の仮庁舎。浪江町は環境に恵まれたとこだったが、避難を余儀なくされた。21000の人口の4割は県外へと、バラバラにされている。国の方針は28年3月で帰還せよとなっているが、難しいと思われる。放射能への考えも多々ある。20ミリシーベルト以下ならというが、通常からいえば、子どもを含めて20でいいのかとの疑問もある。

帰りたいとの声、少数であるが帰りたくないという声も多々ある。

原子力の再稼働について、これでいいのかというところがある。国は責任の所在を明確にしていない。災害対策では『想定外』という。国は地方を犠牲にして成り立っているのではないかとも思える場面が多々ある。我々の経験したことを皆様には経験してほしくない。

 

総務課より 災害当初の状況を常に添付していたが、いつまでいっても仕方ないということで資料からはずした。

23年3月11日、M9.0だった。14時46分。15時33分には津波第一波。15メートル程度と考えられる。

4基の原発から『緊急事態宣言』半径3キロ、そして10キロ圏内に屋内避難指示が出された。3月12日15時36分には爆発が起こった。音を聞いた人たちは、爆発したのではないかと声がでた。

14日には3号機が爆発

3月15日には、二本松市へ役場機能を移転した。深夜に及ぶ作業だった。2度目の移転だ。

15日までは、親子でおにぎり一つを分けて食べた。食べ物が入ってこなかった。

地図でわかるように、線量がわからないので、結果最悪の方角に避難したことになる。放射能が流れた方向に避難したことになった。

福島への国道は114号線のみで、6時間ほどの時間をかけて避難した人もいる。

避難所に入れずに、野宿した光景の写真も添付しているので参考に。

町民は町外へ、県内へ、県外へと数回避難を強いられた。透析されている方へは更に難題を強いられた。

役場も4回の移転で24年10月1日より現在となっている。

55名くらいの職員、臨時も含めて4課を設置して、復旧復興に取り組んでいる。日本一のサケ漁、一日3000匹、年間10万匹、アユ漁も盛んだった。120隻の漁船がある。品質も良く、われわれの口には入らず東京築地への出荷だった。

 

復興基本方針

どこに住んでいても浪江町民(人の復興)

受け継いだ責任、引き継ぐ責任(町の復興)

被災経験を次代や日本にいかす脱原発、災害対策

 

除染が終わらない事にはインフラにも進むことはできない。除染実施対象34行政区で、完了は6行政区が現状。現在では、除染したはずが逆戻りするエリアもある。除染の現状は、居住制限区域と解除区域の合計での面積20%を100とした比率で、宅地は19%、農地は18%、森林は34%、道路は40%の現状となっている。

 

廃棄物処理の現状

がれきや建造物28,9万トンがやっと終わった。仮設焼却場施設が完成した。300トン毎日

常磐自動車道が全線開通したが、二輪車はいまだに規制している。直接被ばくするという考えのようだ。

ローソン9時から15時まで再開してもらって、2000から3000人の食べ物調達をしてもらっている。1年ほど前からで、助かっている。

被ばく前の漁業は、2300トン超だったが、現在は、試験操業中

 

質問への説明

漁について 魚の検査をしているが、試験操業が現状。汚染排水の関係で、漁業検査中、出荷には至っていない。

 

仮設焼却炉毎日300トン、28年度で終了させたいという目標で設定しているが、28年3月では無理なよう、老朽化の家屋があり延長となると考えられる。

 

ローソンについて、食べるところがないということで、販売を要望した。

 

森林の除染手段は答えが出ていない。伐採なのかどれがいいのか不明。

 

浪江町民はどこにいても、支援していく。

 

町民のストレスは、みなさん同じ。厚い雲に覆われたまま経過している。70年80年生きてきて、ストレスは想像以上と考える。いろいろの支援をしている。

 

県外の避難者向けに30名を配置している。月15万円で全戸訪問をしてもらっている。京都では1年間で全戸回ったと。頑張ってもらっている報告もいただいた。

 

町議への要請内容は

体育館に避難してもらっている皆さんを訪問。3つの常任委員会で避難所に行ってもらって・・・。『お前らは何の役にも立たないで金はもらっているだろう』に始まった。国などに要望出してもらったりした。

2年前に選挙があったが、嫌気がさして立候補しない議員も少数ではなかった。半分ずつに分担して、奇数議席偶数議席で担当。避難や支援対策、現在は復興をどうするのかに変化してきた。

賠償金をもらっているので、地域住民のもらってない方とのずれもある。持って行ったタオルがすべて返されたり、車を傷められたり、腐った魚おかれたり。

 

森林は伐採でなく落ち葉をひらうなど。どんどん落ち葉が落ちる。

結局伐採する以外にない。

切れば山は死んでしまう。

 

我々は1ミリシーベルトと、国は20ミリという。しかし、20は原発作業場の場所を指している。

 

除染は東からやる。春には西風が吹く。雨が降れば汚染土が水で東に向かう。除染と汚染の現状。

 

議長より 吉野川に向けて

阪神大震災、思いがなくなっていくのか?いや、なくなっては困る。原発災害は今後も起こらないとは言えない。

忘れないでほしい。二度と発生させないためにも

コメント

0 件

コメントをどうぞ

 *

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください