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ここ最近、会派のホームページへの来客が想定外の状況となっています。今日までで多かった記事は、『選挙応援に行った記事』『勤務先の出来事が、別のホームページに掲載された時』などがおおよそでした。市議会関係でも多少は変化がありますが、それは大した変化でもありません。

今回は、先週の金曜日が異常な数の来客、以降も下降はしているものの、それでもすごい来客です。

思い当たることといえば、金曜日の夕方、当方に『内命』がでたことです。私の仕事先は全国に24000店舗ある言われるマンモス企業。同じ職場で16年働いた。ここからの異動発令です。

ホームページを読んでいただいております皆様に、私なりの考えられることを掲載いたします。相当長文となりますので、適当にお読み願います。

また、郵政以外の関係者には理解ができないことが多々ありますので、いずれお会いしたときに説明した方がいいかと思われる記事です。

私は1977年8月に海部郡の郵便局に就職しました。当時は、4月1日に配属される職員に始まり、最後まで配属のない合格だけした者もいたことでしょう。

高校の春休みから、建設現場にアルバイトに行きました。一日6000円の労働です。

父親の法事があった時、親戚の方が、私が国家試験の合格者ということを知り、郵政省の幹部に知人があるとのことで、お願いすることになりました。

すると、話はとんとん拍子で就職。

1978年、皆様もご存じの『年賀状が元旦に配達されない』労働争議が発生しました。(私には関係のないことでしたが)

1979年4月1日、当時の常識では最低3年は異動はできないという『常識』でしたが、採用の経緯からして常識を無視した、異動がありました。徳島市内まで帰ってきました。私の田舎は現在の三好市。田舎からは半分の距離となりましたが、それでも2時間はかかるところですので、更に長屋住まいです。

問題はここからです。翌年6月には結婚。そして、更に翌年には子どももできて生活基盤は、山川町(現在居住の町)となりました。

職場の労働条件はメチャクチャでした。労働組合がしっかりしているところは普通ですが、労働組合のないところなどは、人権やセクハラなどという生易しい表現ではありません。

この職場では、20年間働くことになるのですが、私の選択した道は『弱者をいじめることは許さない』というスタンスです。結婚時に『浮気はしないが、博打はやめない、出世はしない』という公言をしていましたので無理のない方針でした。

また、労働組合をどのように団結強化するのかというスタイルも問われていました。当時は、労働運動を右傾化することが、労働組合の方針でした。闘わない労働組合への変質です。

この理由は明確な出来事があったからです。

先ほど書いた、元旦に年賀状が届かなかったことへの郵政省の報復は50名以上を解雇したことです。若い、駆け出しの青年を解雇したことで、組合幹部は追い込まれていったのです。(組合幹部は解雇を覚悟の指導でしたが、まさか指導に従っただけの青年の解雇)

そこで、労働組合の闘う方針を変更せざるを得なかったのです。

しかし、現場では到底方針変更など受け入れるわけにはいきません。『仲間が解雇されたことに対して、労働組合は2000万円で労働組合からも追い出す』ことにしたのです。※名誉のために書いておきますが、この青年の一部の方は、『組合の指導に従っただけ』との主張で、そののち東京高裁で勝利、勝利判決の内容は最高裁で争うことのできない内容となっていたため勝利は確定したのでした。何故最高裁で争えない内容なのか?それは国鉄の分割民営化の法律を作り上げた本人が裁判長だったからです。

さて、話は戻りますが、労働組合の方針に組織労働者が最終的に従わないという選択肢はありません。この選択肢を選ばない『県』もありましたし、方針の通りに従う県もありました。私の選択した方針は『中村、林スタイル』というある府の方針でした。労働組合の指導は全て消化する、そしてここから現場の労働者の議論を始めていくというスタイルです。勿論、方針を全て消化するのですからそれだけでも重労働です。しかし、それでも乗り越えるしかないという議論の積み重ねです。

職場ではいろいろのトラブルが起こります。私の職場は、成績も消化するというスタイルですから、私たちが攻撃されるという出来事は一つを除いてなかったと思います。

しかし、近隣では諸々。一つ掲載すれば、セクハラを大きく超えることが起こりました。私たちに相談に来るまでには半年を超えたと思います。どこに相談しても解決しない。管理職に訴えようが、労働組合に訴えようが『二人だけの密室だから、どちらの主張が正しいかは分からない』マジで労使の結論だったのです。

正式に、私らに相談が始まり、とりあえずは情報収集からでした。そんな折、彼女も忘年会に参加しました。私らの忘年会には『弁護士でもある代議士』はじめ、県会議員、市議会議員、労働組合幹部が参加していました。招待する目的は『¥』です。ここで、彼女は事実を訴えたのでした。相手は弁護士です。そして、証拠には家具屋さんから購入した寝具もあります。密室などというしょうもない主張など何の役にも立ちません。そこで、『私が解決する』というので『お断りします』と、きっぱり。その理由は当時の労使関係にありました。『関わるなら落選覚悟ででもやるスタンス』が必要だったのです。流石の弁護士『最後までやるから経過をFAXしろ』とのこととなり、帰宅後経過報告書を作成。年明けの1月中旬、彼女は晴れて希望通りの職場に異動できることとなりました。

この出来事を読まれてどう思われるのでしょうか?これを会社は『やられた』と、考えるのです。だから、いろんな手法で労働者イジメを繰り返すのでした。いじめられてあきらめる出来事がその大半です。立って闘うという選択肢などそう簡単にはありません。労働組合が解決してくれる望みなど見えない。自分も怖いというのが普通の判断なのです。しかし、どうしても許せない労働者は『指導者を探す』のです。

私たちだって、怖いということは同じですが、困っている労働者と向き合ったということをもって解雇されることはないし、仮にそうなれば支援者も少なくもない。

そうこうしているうちに1999年4月1日がやってきました。ここの職場できっかり20年です。

当時『本人希望が転勤には必要』という私たちの主張と『本人同意は不要、問題は勤務地までの通勤時間のみ』という国の主張でした。そして、本人同意は不要ということを『証明』するために私の強制配転が必要だったのです。

私の異動阻止に立ちあがったのは、窓口に来ている来客者15名?くらいだったかな?職場に地域の署名を集めて乗り込んできたのでした。2度にわたった交渉?は『お客様に人事権はない』ということで強制配転は強行されたのでした。

異動先は徳島県では一番デカイ職場です。

ここでも労働者イジメはとどまることがなく、私たちのやることに特段の方針変更はありませんでした。

一つだけ、この際掲載しますと、肝臓移植で松島正君を救おうと、労働争議でなない闘いを展開しました。アメリカで肝臓移植をするために6000万円の募金をあつめると。ここでも労働組合は呆れた方針を打ち立てるのです。『募金活動に協力はしない、理由は前例になるから』と、全国の幹部会議で発言したのです。

しかし、流石に全逓魂は健在でした。当初の目標の通り、全逓2000万円、募金活動2000万円、募金団体から2000万円。このとおり、募金は達成したのでした。

この募金の言いだしっぺは私の妻でした。『お金つくらないかん、募金活動しない』と。やるとなれば、私が前に出ることはできない。(理由は書きません)、そこで、マスコミ向けに2名を決めて、募金活動を開始。3カ月半で一定の目途を立てて本人は渡米。あとは私たちで募金を継続。※名誉のために掲載しておきますが、この時の局長は募金活動を支援する発言をしたのです。労働組合の専従とは正反対でした。

さて、ここからが本題なのです。

このような経緯のなかで、金融庁が『郵政の人事政策』について、指導を出してきたのです。同じ職場で10年を超えて働かせてはいけないと。この背景には、管理職の公金横領がとどまるところを知らないということからでしょう。勿論、職員も管理職ほどではないにしても犯罪はありましたけれども。

1999年から5年過ぎて、郵便切手販売から保険の仕事にかかりは変わっていました。これもセクハラ事案があったことへの解決に、私が関係したからです。もうここは省きます。

そして3年が過ぎたころ『同じ職場で10年いることはダメだから、異動しろ』というのです。『お好きなところにどうぞ』と、言っているうちに10年を過ぎてしまったのです。すると、『異動は保険に変わってから10年だ』と、説明が変わっていくのです。そして10年が過ぎた昨年。私も異動は覚悟していましたが、既に兼業していますので、どこでもいいというわけにもいかず、それなりの要職の本社役員他に相談し、一応の結論が出ました。しかしながら、この異動は実現することがありませんでした。私の判断は、退職まで異動はないということと、幹部の一大不祥事が発生した時期でもありましたので、原因はここらかな。ということですが、いずれにしても異動の話はさっぱり消えたかと。

これだけの流れの中での『異動』ですから、内命を出した私の考えが判断できるのではないかということで、ブログに驚くばかりのヒットが起こっているのでしょう。多分

ここまで読んでいただきましてありがとうございました。しかし、ご希望の添える記述がないことは申し訳なく思います。

今後については私たちと、ボチボチ相談していくこととします。

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