土曜日、徳島まで車で出かけました。とはいっても、おおよその日は、孫の用事で行っていますので、少し東に移動しただけです。それにしても参加車の(誤変換ではありません)多いこと。50分くらい前の到着でしたが、早くも詰込みの誘導でした。90歳近くの方が、『口を紡いでいたが、それでは戦争に近づくことが容易にわかる。戦場には行っていないが、悲惨な経験は言うに及ばない』このようなことを話されていました。また、私たちは徳島の大空襲でも大したけがもなく生き延びることができた。しかし、終戦後の悲惨な現状、特に3年くらいは、耐え忍び難かった。避難先でも女性は余計に再避難しなければならないことも。このようなお話で、ウクライナやガザでは、あの当時のことが起こっている。一刻も早く終戦してほしい。このような、貴重な生の声でした。特に、話さないまま記憶を消し去りたかったが、今の情勢は戦争に進んでいるとしか思えない。戦争の悲惨さを知ってほしいとの訴えでした。提案側より、平和の日の条例制定と同時に、語り継ぐための徳島大空襲の記念館の建設要望がありました。四国で無いのは徳島県のみとのことでした。


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